バブルが崩壊し、日本全体が不況にあえいでいた頃の事。
金融機関による「貸し渋り」や「貸し剥し」が連日新聞紙面を賑わしていたある日、うちの会社に融資してくれている信用金庫の担当者が突然来社した。
「融資残高の確認をしたいので、こちらに署名と捺印をお願いします」
と、その職員は一枚の紙を私に差し出した。
書面には「私は○月○日現在、○○円の融資を受けております」といった内容の事が書かれていたので、確認し署名捺印をした。
数日後、その信用金庫の別の職員が来て一枚の書面を提示し、融資の返済を迫ってきた。
それは先日私が署名捺印した書類だったが、白紙だった場所に一行書き加えられていた。
「上記融資を、○月○日までにご返済します」
絶句した。
「こんなこと書いていなかった」と言っても「私は存じ上げません」と言うだけ。
「前回来た職員を呼んで来い」といっても「彼は退職しました」の一点張り。
東京ではかなり名の通った信用金庫だ。それが昭和初期のヤクザまがいの事をするなんて、とても信じられなかった。いや、今でもあれは夢ではなかったかと思うほど。
「これが貸し剥しか・・・・」
祖父の代からのお付き合いだ。多少利率は高かったものの、もしもの時に力になってくれるだろうと思い、お付き合いを続けて来た。それだけにこの裏切りの衝撃は大きかった。裁判を起こせば片付く事だが、時間もお金ももったいない。
それにこんな信用金庫に利息を払って収益を上げさせる事自体に腹が立つ。
しかし、どの金融機関も「貸し渋り」が横行し、とても借り換えが出来る状況ではなかった。
が、唯一ひとつだけ望みがあった。
「政府系金融機関」
その信用金庫よりずっと有利な利率で即融資に応じてくれた。
しばらくして「貸し渋り」や「貸し剥し」が下火になると、その信用金庫に新たな担当者が加わる度に、ウチの会社に挨拶がてら融資の話を持ってくるようになった。
その時は必ず加筆されたあの書面を取り出し、当時の話を聞かせてやる。
そんなことを2,3回続けたら、いつの間にか新任担当者が挨拶に来なくなった。
民間の金融機関は声高に政府系金融機関の民業圧迫を口にするが、彼らは「貸し渋り」や「貸し剥し」が横行し、口々に民間金融機関に対する恨み辛みを言いながら倒産して行った中小企業の方たちや、ウチのように政府系金融機関に何とか助けられた人たちの事をなんか、全然覚えていないんだろうな。 |