「罪を憎んで人を憎まず」
小泉さんが靖国参拝問題で、自分の行動を正当化するために引用した一説。
結構反響を呼んでいるみたいですね。
この言葉、孔子の言葉だと思っていたら、実は最近の研究では後世の偽作と言う見解が多数派だとか。
それに、この文の前後を読むと、実は今日本で一般的に知られているような意味ではなく、少し違った意味で書かれているらしい。
「小さなことは大目に見ましょう。老人などの弱者にはなるべく受刑させないように」
という「やさしさ」の教えだとか。
それにしても最近は元の意味とはまったく別の意味で使われている言葉が結構多いですね。
「情けは人の為ならず」なんて、もはやその代表格。
代表格で有名になった結果、逆に本当の意味が広く認知されてしまった感すらあります。
ほかにも「役不足」や「確信犯」なんてのもありますね。
言葉なんて時代と共に変わって行くもんですし、使い方だって変わっていくものでしょう。
私が知る限りの最上級敬語を駆使して江戸時代の殿様にご挨拶したとしても「無礼者!」と御手打ちにされるのは必至ですから。
「全然」と言う言葉を否定する場合にのみ用いてきた私には、「全然大丈夫」なんて肯定的な用法で使っているのを聞いてびっくりしたものです。
しかし、昔は「全然+肯定」は広く使われていたらしい。
もしかしたら「全然+否定」は昔の若者の間で流行った「若者言葉」だったのかもしれませんね。
それが今では一般的になって、逆に「全然+肯定」が若者言葉になっている。
あと50年もしたら「全然+肯定」が一般的になり、再び「全然+否定」が若者言葉として復活するかも。
日本の文化の根底に流れる仏教の重要な思想のひとつ「他力本願」ですら、今日ではまったく間違った使われ方をしているんですから、中国の儒教の一説がこの地に違った形で伝わり、それを小泉さんが口にしたとしても、鬼の首を取ったように、はしゃがなくても良いような気がするんですけど・・・・人民日報さん、いかがでしょう?。 |